【協力隊ブログ】新宮ダム物語

<用松 隊員>

新宮地域では、ウグイスの鳴き声を時々耳にするようになりました。
春の到来に備え練習しているのか、まだ「ホ~ホケキョ」と完全な鳴き声ではありません。
昨年、新宮地域へ来た時の春は、ウグイスの鳴き声に癒され雉の鳴き声で朝起こされるという生活をしていましたが、ウグイスの鳴き声を聞くと新宮地域へ来たばかりのことが昨日のことのように思い出されます。早いもので一年が経ってしまいました。

 

さてさて、本題に入りますが…
新宮地域には、馬立川、和田小屋川、新瀬川、寺成川、天日川、それと地域内の流路が15km程と最も長い吉野川水系の銅山川6つの川が流れており(参照ブログ8/3付)、四国中央市内には「銅山川三ダム」と呼ばれる富郷ダム(上流)、柳瀬ダム(中流)、新宮ダム(下流)があり、富郷ダムと柳瀬ダムは嶺南地区、新宮ダムは新宮地域にあります。

 

👉新宮ダム(第1章)

◀新宮ダムの管理所の方によると、新宮ダムは1975年(昭和50年)に竣工しました。ダムを作る時は、当時では日本で初めてとなる濁水処理の技術を使ったとのことです。新宮ダムに貯まった水は、発電、農業用水、製紙工場をはじめとする工業用水等に利用されています(新宮ダム展望台より撮影)。

 

 

◀新宮ダムに行って目に留まるのは、朱色の大きな機械です。これは、ラジアルゲートという水門で、洪水調節時にはダムから流す水量をこのゲート4門を使って、毎秒1,200立方メートル以下にするとのことです。また、ダムの貯水位は、時季や天候によっても違うそうですが、貯水位が満水の時はゲートの近くまで水位が上がることがあり、ゲート近くで見ると迫力があるそうです。また、銅山川三ダムの中で最も取水する量が多く貯水位が変わりやすいとのことです。
ちなみに、富郷ダムは法皇湖、柳瀬ダムは金砂湖と湖名がありますが、新宮ダムにはなぜか湖名がありません(少しサビシー気がしますが…)。

 

👉影井堰(第2章)

◀新宮ダムから下流へ進むと、影井堰(かげいぜき)があります。
影井堰は、銅山川の水量の確保や枯渇による川の環境悪化を防ぐために建設されました。写真は、手前側が上流方向で写真の奥が下流部分の銅山川となります。
ちなみに、この新宮ダム~影井堰間は、「うるおい湖」という名称です。

 

 
👉石碑(第3章)

◀ダムを建設するということは、新たな水資源の確保、洪水被害の軽減という利益を得るだけではありません。それと同時に、ダムの建設地にあった集落の住民の家屋の移転等が必要不可欠です。この方達のご協力によって新宮ダムが完成したことを忘れてはいけません。写真は、水没した小学校の記念碑です。

 

 
 
👉堀切トンネル(第4章)

◀新宮ダムの建設は、水資源となるだけでなく、堀切トンネルを建設するきっかけとなりました。現在では、市街地まで行くための主要道路となり、多くの地域住民の方々に利用されています。もちろん、私もよく利用してます!(新宮地域側より撮影)

 

 

以上、新宮ダム物語でした~

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