<用松 隊員>
皆さん、新年はいかがお過ごしだったでしょうか??
私は、霧の森の正月イベントで餅つきをしたり、太平洋沿岸をお遍路したりし過ごしました。
餅つきは、多くの子ども達が親子で楽しそうに餅をついている姿や紅白の餅をもらおうと大勢の方々が並んでいる様子が印象的でした。お遍路は、どのお寺も門松や飾り物で彩られていたり露店が並んでいたりしていて、正月ならではの賑わいが見られました。道中は海辺で凧揚げをしたりサーフィンをしたりする光景を目にし、その土地ならではの正月の過ごし方をたくさん目にすることができました。
さてさて、本題に入りますが・・・。
新宮地域には、道の駅「霧の森」だけでなく意外な物や驚きの場所等がたくさんあるので、新宮地域を知れば知るほど不思議の国に迷い込んだ錯覚に陥りそうになってしまいます(笑)。今回は、新宮地域の歴史学びスポットをご紹介させて頂きます。
新宮地域には、かつて「新宮郷土館」という地域の資源が収蔵されている施設がありました。当初は、中学校跡の建屋を利用し地域の方々の協力を得ながら8年ほどかけて1971年に開館されました。その後、何度か移転をし、現在はとある地区の小学校跡の建屋に「郷土資料室」として運営されています。郷土資料室は常時見学できる施設ではありませんが、見学の機会があったため展示物を数点ご紹介させて頂ければと思います。
👉展示物①
新宮地域で渡しがあったことは以前のブログ(昨年8/3付)でお伝えしましたが、写真は実際に利用されていた渡し舟です。当時は、発行された往来手形や氏神の氏子札(身分証明書のようなもの)を携え、道中に追い剥ぎや流行病等を避けるため川を経由し、こんぴら参り・お四国参り・石鎚山参り等、遠くはお伊勢参りや出雲参りにも出掛けたそうです。舟は想像以上に大きく頑丈な作りでした。当時は命懸けで旅行していたことがうかがえます。
👉展示物②
新宮地域でかつて砂金採りが行われていたことは以前のブログ(昨年11/28付)でお伝えしましたが、その際に使われていた砂金採りの道具も展示されていました。現在でも、新宮地域の歴史に触れることを目的として、親子砂金採り体験会が開催されたり、新宮中学校の体験学習として取り入れられたりしています。
👉展示物③
新宮地域のある四国中央市は紙製品の出荷額が日本一で「紙のまち」と言われてますが、新宮地域もかつては和紙生産地でした。全て手作業で紙を漉き和紙を製造していましたが、大正時代のピークを境に年々減少し、操業者は残念ながら2008年頃で途絶えてしまいました。ただし、和紙の原材料となる楮(こうぞ)や三椏(みつまた)の花は新宮地域の至る所に咲いており、地域の方々が今でも栽培・出荷をしています。
以上、新宮地域の歴史学びスポットでした~
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